こんにちは。HiRokiです。
本日は、思考を変えて私がこのブログを立ち上げた理由と、今後目指すことを改めて整理した上で何かのヒントになれば良いなと思い記事にしたいと思います。
どんな逆境でも自分より苦しんで頑張っている人もいるし、恵まれている人もいる。
ヨーイドンで始まらない人生であるが、自分の人生を他人と比較せずに冷静に考えて見えれば、今後のことを考えればざっと100年とする。
個人的にそんな中で後悔しない生き方を模索するようになった。
就職や転職をしたところでも「捨てる神あれば拾う神あり」で絶対にチャンスはある。
だから、本当に嫌なことからは逃げるべきだし、新しいことにチャレンジするべきだと思う。
もし、悩まれている方がいるならば、「転職」や「独立」など、一歩踏み出すきっかけにしていただければ幸いです。
目次
新卒で就職せずに、海外へ行った理由
私はコンプレックスの塊だった。
大学は、行きたい大学へ行けなかったのもあり、せめて就職は。。。という思いがあった。
当時の新卒採用は大学3年生の10月から解禁されていたが、私は3年生の6月くらいからかなセミナーなどに足を運ぶようになって行った。
なんとかいい会社に入りたい。いい会社っていうのは、「ベンチャー企業」のようなところで自分を高めていけるところへと。
それと同時に読書にもハマっていた。
難しい本を読むのは今でも苦手なのだけど、自分と似たような人間から勧められた本は読んだ。
養老孟司さんの本や、高橋歩さんの本はハマった。
死んだ時に後悔するのは、やらなかったこと
やりたいことは逃げないでやればいい
こんなことを上記の本からインスパイアされて、今でも行動指針になっている。
だから就職活動中に、本当に紙にいろいろ書いたり、結果的に自己分析はめちゃくちゃした。
自分は何がしたいんだ!?なんでしたいんだ!?なんでやらないんだ!?
どうしても中学校の頃からやりたかった海外生活に憧れた。
そこからはめちゃくちゃ調べて、あとは「ポチる」
これは、先日Youtubeでマコなり社長も言っていたけど、本当にこれだと思った。
ポチれば人生を簡単に変わるというのは実感した。
あとは、実際にメールなり電話なり、郵送物なで準備が進む進む。
Visaとったり、銀行開設したり、チケットとったり。
それでもうあとは、行くだけ。
就職を辞めたという選択に関しては、特に何も考えなかった。
そして実際に行ってしまえば、自分と同じような人間なんていくらでもいると気づく。
たまたまそういう人が周りにいないだけで、そういう場所にいけばいくらでもいるんだと思った。
だから、意外と踏み出してみると、そこで出会う人がいるので大丈夫。
事業主を目指して、カフェを開業した理由
オーストラリアに1年間行った後は、そこで色々と思うことがあった。
「ビジネスをやってみたい」「カフェっていいな」「こういう場所ができたら」なんていうことをふと考えていたら、カフェをやる理由が明確になった。
・ビジネス
・カフェ
・みんなの集まって、何か生まれる場所
ってもうカフェじゃん。
だから、カフェをやろうと思った。
全く知識はないけど、オーストラリアのカフェ文化っていいなって。
帰国したらカフェで働くことを決めた。
そして、23歳が終わるタイミングだったから、2年後の26歳までにやろうって思った。
それでカフェでアルバイトを始めて、ラテアートの大会に出たり、カフェ巡りしたり。
知識はできたけどお金がないから、開業に向けて大学時代にお金を貯めたガソリンスタンドに出戻りして稼がせてもらった。
なんだかんだ接客はここで学ばせてもらった。歩合給だったから、車のメンテナンスとかも勉強しながら行った。
そこで出会った後輩が自分にめちゃくちゃ興味を持ってくれて一緒にやることになった。
移動販売という業態を選んだ理由
本当に自分のお店を持ちたかったけど、物件が見つからず・・・。
なかなか理想とする物件はすぐに出てこなくて。
それで「移動販売」でやってという選択に乗った。
これも移動販売車を作ってる会社に電話して、打ち合わせして、どんどん進んだ。
車の作成が開始したところで一気に地獄へ・・・
仲間の裏切り・・・と一人での戦い
ここからは、本当に辛かったなと思う。
一緒にやろうっていう人がいなくなった。お金も全部自分が出して。
全て任せていたけど、全て自分やらなくてはならなくなった。
車はあるけど・・・
出店場所は?機器は?豆は?
当時はやばいけど、やるしかないと腹をくくった。
出店場所は、ネットで検索してひたすら電話。
営業もしたことなかったからマナーも知らないけど、いろんな人に会った。
大手スーパーの催事担当の人とかのアポとかよく取れたと思う。
後はフリーマーケットの運営事務所とか、色々電話したなぁ。
機器とか豆とかは、知り合いに連絡して協力してもらったり。なんとか出店できた。
今は無理だけど、当時は路上ランチをやっている場所へ行って、コーヒー売ってた。
1日で2000円くらいしか売上られなくて帰ってくるみたいな。
本当きつかったな。
そんな出店が多くて、「死にたいな」「こんなことやっても」ってすごいマイナス思考になった。
なんとか一旦やれるところまでやってダメならダメって諦めようと思って。
そこからは横の繋がりもできて、色々とチャレンジさせてもらった。
CM撮影のケータリングとか、バラエティ番組のケータリングとか。
移動販売業としては食べれるけど、最初の目的からずれて行って。
ついに廃業するという決心がついた。
ニート経験後、奮起してサラリーマンへ
そこから廃業するのも色々と大変だった。
全部、整理して車とか機材とか買ってくれる人探したり。
廃業の手続きをしたり、挨拶回りしたり。
疲れてしまって3ヶ月くらいニートになってしまった。
ニートの記事はこちらで
そこから、転職エージェント3社と転職サイト5社くらい使ってひたすら受けた。
100社くらい書類出して、20社くらい面接して、5社くらい内定が取れた。
同時ではなく、内定が取れてから悩む感じで断ることが多かった。
ただ、ここでは求人広告代理店で働くことができた。
ここもきつかっったな(笑)
1日100件以上、電話とか飛び込みとかして、全然売れなくて。
軽く社内でいじめにあったりして。
年収も280万円。28歳でここから生活を変えられないのかなってめちゃくちゃ悩んだ。
もうダメかもと本当に思った。
生きて頑張ってれば、なんとかなる。
でも、ここでも移動販売の経験から「生きて頑張ってれば状況は変わる」って思った。
だから「3年間やって、何もダメだったら考えよう」って思った。
仕事を辞めてもいいし、どう考えてもいいから3年間だけ頑張ろうと。
そしたら、3年目から結果が出始めてユニットリーダー→リーダーへと昇進できた。
年収も400万円くらいまで上げることができて、なんとか生活できた。
一人暮らしもできたけど、生活はギリギリだった。
ここからは、とりあえずもっと上を目指して頑張ろうって思ってた。
頑張りすぎない・・・
ただし、頑張りすぎてしまった。
代理店のトップなどの自分が行けると思わなかったところまで辿り着けた。
でも、同時に体がおかしくなってしまった。
「頭が回らない」「ぼーっとする」「朝起きれない」「涙が出る」
少しのことで駅で悔しくて大泣きしてしまった。
そして、広告の原稿を扱う仕事なので、原稿にミスが出そうで怖かった。
上司にも相談して、色々と面倒を見てもらった。
そこからさらに苦しくなっていく。
色々な人に相談して会社を辞めようと思った。
でも、会社は一旦病院に行け、休職するのがいいといって辞めれなかった。
また、ここからどんどん苦しくなっていった。
「もう死ぬしかない」「もうここから抜け出せないんだ」
そんな風に自分をどんどん追い込んでいった。
最終的には社長と会話して辞めることになったが、本当に辞めれてよかった。
何も考えなかったが、辞めれて環境を変えるという結論にした。
そして、転職するなら負の解消へ
なんでこうなっちゃったんだろう。
「給与が低い」「労働時間が長い」
そんなことを考えて、もっと自分の経験を生かしてここの解消へ動いた。
そして大手の会社へ入ることができた。
まさに「拾う神あり」
給与も150万近く上がるとなるし、働き方も進んでいる会社だった。
「辞めてもなんとかなる」
逃げたいときは、立ち上がるチャンス
実は、今回の退職に関しても前職の時と同じ思いになってしまった。
「辞めたい」「会社に行くのが嫌だ」
そうやって思ったが、今回はチャンスかもと思った。
LIFESHIFTを読んでから、人生観が変わった。今回は、そんな自分が変わるタイミングだと思った。
もう一度ゼロから、やりたいことをやろうと思った。
やりたいこと
- 自分が色々チャレンジしている人生が楽しいと思えることを伝えたい
- 辛いことを何度も乗り越えてきて、立て直しが可能なことを伝えたい
- 死ななければ、なんとか生きて踏ん張れば戻ってこれることを伝えたい
- 転職とか独立かを支援して、自分と同じように諦めない人生を歩んで欲しい
- 自分が携わってきた求人や人材業界の知識をもっと役に立てて欲しい
だから、転職コンサルタントをやる。コーチング事業を立ち上げる。
踏ん張るべきか、逃げるべきか
迷った時には、ぜひ連絡をいただければと思う。
本当に困った時に、迷った時に支援できる事業を展開していきます。
もっとやりたいことに向き合える人生を目指します。
これから色々と企画を考えているので、応援いただければ幸いです。
無料相談・問い合わせからお気軽にご連絡ください。
逃げることは立ち上がるチャンスです。
HiRoki
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